出身者以外の想い

このページでは絵鞆小学校ご出身者以外の想いを掲載します。


Mさん/東京都在住

子供の頃、白鳥大橋もなかった頃には、蘭北出身の僕にとって絵鞆・祝津は遠い遠い地の果てのイメージでした。
年に何度か、水族館に行くくらいで、訪れる機会も少なく、絵鞆小学校の存在も知りませんでした。
この校舎の存在を知ったのは、白鳥大橋が開通してから。祝津側に向けて橋を渡りきると、視界に絵鞆小学校の円形校舎が見えてきます。なんて不思議な形だろう? 中はどうなっているんだろう? どんな子供たちが学んでいるんだろう? 興味は尽きませんでした。
結局、まもなく閉校してしまい、未だ中を見学する機会には恵まれてませんが、いつか見学してみたいなと思っています。

私の母校・高平小学校は昨年、隣の本輪西小学校と統合され、蘭北小学校になりました。そして、旧本輪西小学校の校舎は閉校から1年を待たず、あっと言う間に解体されてしまいました。
本輪西小学校も、絵鞆小学校も、元をたどれば明治・大正の頃に、地域の方々が、自分たちの子弟にはちゃんとした教育を受けさせたいとの一心で、地域の人たちがお金を出し合い、場所を提供し、地域に根ざして作り上げられてきた学校と聞いています。そんな、地域と直結した学校がどんどん無くなって行くことによって、「地域の記憶」「まちの記憶」そして、「地域の魂」といったものがどんどん失われていくことに強い危機感を感じています。我々は室蘭市民である以前に、僕なら本輪西・港北の住民ですし、絵鞆小に通った子供たちは絵鞆・祝津の住民です。それぞれの地域民としての誇りを後世に伝えるためにも、何らかの形で学校は残して欲しいと強く感じます。

Tさん/室蘭市在住

私は、北海道の屋根を越えた先で、同じように海が見える街で育った、いわゆる「よそ者」です。
室蘭には、10年前に旅行で訪れたあと、5年前に仕事の関係で移住することになり、以来ずっと住んでいます。
移住すると、その街のことを知りたくなる私は、とにかく様々な方から様々なお話を伺うようにして、そして自分でも実際に伺った場所に赴くことなどをしているのですが、ずっと気になっていたのが、白鳥大橋の近くにある、この存在感のある建物でした。
なんだか学校とは思えないような、独創的な建物であるように感じました。
私が卒業した小学校も、円形校舎ではないのですが、高低差のある土地に建っていて、玄関と事務室・科目教室のある棟から、渡り廊下の階段をあがって、通常の教室棟に行くという、まるで旅館や病院の建て増しのような建物で、これはこれで独創的だと思っていました。しかし、帰省するともうその建物はなく、土地も高低差がならされ、宅地に変わっていて、幼少期のノスタルジーに浸ることのできない寂しさを感じました。
この円形の建物が、学校だなんて。
私の通っていた学校も特殊なつくりをしていた方だったと思うので、こうした個性ある建物で学んでいて、そしてまだその建物を見ることができるというのは、絵鞆小学校卒業生の皆様に対して羨望の思いを抱いています。
こうしたサイトや、卒業生の方のお話を伺うにつれ、卒業生どころか、出身地も違う私ですが、歴史的価値のみならず、多種多様な価値が存在するこの建物に惹かれる一人となりました。

 

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