出身者・想い出集

絵鞆小学校の想い出をご紹介します。

まず、俳優の安田顕さんも絵鞆小学校のご出身。
安田顕「学び舎」『北海道室蘭市本町1丁目四十六番地』 2013.12.5 幻冬舎文庫から一部、想い出を引用します。

「円筒形の建物で、教室はバウムクーヘンを切り分けたような扇形。中央には、上まで続く螺旋階段。 数年前に取材で立ち寄ったことがあります。 教室の中はとても日当たりがよく、光が差し込む窓を背に、子供達が先生のお話を聞いていたり、いなかったり。
 ところが教室を出ますと、中央部にはほとんど光が当たらず、ジメッとした雰囲気……。あらためて、随分と珍しい建物で学んだものだと苦笑しつつ、懐かしく、少し得意気に、ゆっくりと螺旋階段を上りました。
 私が通っていた頃、螺旋階段を上りきると、真ん中に大きな円柱のガラスケース。 その中には色んな標本が飾られていました。人体模型やワシの剥製。あと、標本瓶に入った、しっぽが何股にも分かれた得体の知れない動物もいました。

 ただでさえ薄暗かったのに、そこにそんなのが飾られていたのですから、そりゃもう不気味。剥製のワシと目があうと、そのあとずっとこちらを睨んでいるように感じ、みんなで「こわいこわい」と笑って騒いだり、そのまま螺旋階段の手すりに掴まって滑り降り、先生に怒られたり……。」
・・・「校庭にスケートリンクもつくりました。室蘭市は北海道の南西に位置し、他の地方に比べると降雪量は少なめ。また海に面しているため風が強く、積雪量も比較的少ないので、スキーよりもスケートの方が盛んです。リンクをつくる日。午後の授業は全校児童で雪踏み。

 グラウンドを児童全員で歩いて回り、ひたすら雪をギュッギュッと踏み固めます。そこに水を何度か撒いて数日経つと、校庭には、大きくて立派なガッタガタのスケートリンクが。

 最初にそのガッタガタのスケートリンクを滑ったときに母が買ってくれたスケート靴は、白いフィギア。男子は皆、黒くて歯の細いハーフやスピードを履いてガッタガタのリンクを滑っていたものですから、女の子が履くような白いフィギアがなんだか恥ずかしくて……。何度も転びながら、歩くように、ゆっくりとガッタガタの上を滑ってました。
 しつこいようですが、みんなの力を合わせた結果、スケートリンクはガッタガタでした。」

 


Aさま/札幌市(絵鞆小学校出身)

平成27年2月14日、室蘭絵鞆小学校の閉校式に出席した。
会場は40年以上前の卒業式以来となる円形校舎の最上階にある体育館。
正面玄関口から案内に誘導され、人の流れのまま何区切りかの硬いコンクリートの階段を上って行った。
すると見覚えのあるドーム型の空間の入口に立ったのも束の間、天井の美しい骨組みを追いかけるように、中奥へと移動し、床からはスリッパの擦れる音と板の軋む音が重なって別世界に放り出される効果音のように響いていた。
ほどなく式の開始時間となり進行どおり何人もの方々の挨拶が続いてゆくのだが、母校が歴史に一区切りつけるという、その場所、この瞬間に自分が居るにも関わらず、すでに現実の行事とは思えない感覚に陥っていた。
式も終盤となり、「122年ありがとう」のDVDが映し出され、現在の生徒らが学び舎とともに出演していた。僕も小学生の頃に戻るつもりで、担任だった先生の顔を思い浮かべてみる。1年2年は阿部尚樹先生、3年4年は佐藤宗子先生、5年6年は西沢勝彦先生。
もし、今日、持ち物検査があったなら、僕には×印がついてしまう。
相変わらずハンカチを失念し、あの頃と変わっていない自分。
「卒業式の日、僕は泣いたのだろうか?」「きっと、泣いていたな」
未だに照れくさくて、顔を上げることができない。

絵鞆が丘は  光に満ちて
我が学びやに 友はつどえり
灯台の島を  真向かいにして
楽し我らは  道にいそしむ
心をみがき  身体をきたえ
望みは清く  大きく高し
共に睦みて  たゆまず励み
楽し我らは  日々に伸びゆく
「絵鞆小学校校歌(作詞 中野作郎 石堂純次 作曲 工藤富次郎)」

 


Sさま/室蘭市(絵鞆小学校出身)

円形校舎の思い出 小学6年間を過ごした絵鞆小学校。円形校舎ならではの思いでは尽きません。らせん階段は登り専用、教室はバウムクーヘンを4等分したような扇形、3階にある体育館は丸い形状をしており屋根はドーム型、西棟の中央部はホールとなっており歴代の校長先生の写真がズラリと並ぶ。どれも素敵な思い出ばかりです。 子供の頃は宇宙基地のようなカッコ良さが他校の生徒への自慢でした。ここで過ごした6年間は自分の感性に大きな影響を与えてくれたと思います。 学校としての役割は終わりましたが、この美しい円形建築物は他の用途で活用してもらいたいです。この建物を見るために全国から人が集まってくる、決して夢物語ではない貴重な建築物だと思います。 いつまでも室蘭のシンボルとして昭和の歴史的建造物として残してもらいたいです。


Nさま/室蘭市(絵鞆小学校出身)
螺旋階段で記念写真を撮ったことがありました。(多分クラス単位で)
 体育の授業で、夏は祝津海水浴場で水泳、冬は校庭でスケートを行なっていました。
 スケートリンクはPTAと生徒でカラートタンに土をかぶせ土手を作り水を張り作っていました。
 放課後も滑れ、毎日最後はみんなで竹箒等を持ち掃除してました。
 冬期休業の時に水族館の魚を海水浴場に放流したおぼえがあります
 給食も校内調理から給食センターヘ、脱脂粉乳からビン牛乳、ラーメンもソフトメンに変わり、大きなヤカンや蒸発皿で牛乳を温め飲んでいたことも。


Yさま/室蘭市(絵鞆小学校出身)

私の通っていた当時の絵鞆小学校はまだ桜が丘小学校と分かれる前だったので1学年7組まであり、木造校舎もまだ使用されていました。木造校舎は現在のプール後地あたりにありましたが、窓が木枠で隙間だらけのため冬の朝学校へ来ると机に雪が積もっていました。授業を受けるときでもオーバーを着て手袋をはき、震えながら座っていた記憶があります。
小学3年生の時に桜が丘小学校と分かれた後に木造校舎が取り壊され、円形校舎横に新校舎ができたのが6年生の時だったので、ちょうど校舎の移り変わりを見ていた年代になります。木造校舎、円形校舎、新校舎すべての校舎で授業を受けたのですべてが懐かしく愛おしい気持ちです。
中でも円形校舎は絶対に失くしてはいけないと危機感を持っています。
あらためて校舎のデザインを見ると本当に素晴らしい。
この形のまま残さなければ意味がないと感じます。


 

コメントは受け付けていません。

  • 想い出、保存活用へのご意見などお寄せください。

    ※名前、メールアドレス、住所以外は、意見として公開し使用させていただきますので、ご了承の上、お書き込みください。特に、匿名にしなくてもいいかたは、本名大丈夫ですとコメント欄にお書き込みいただけるとありがたいです。