こんばんは。サポーターズクラブの髙橋です。
このたび、岩見沢市「そらち炭鉱(ヤマ)の記憶マネジメントセンター」にある
NPO法人 炭鉱の記憶推進事業団様が毎年主催する「ぷらぷらまち歩き」のうち、
栗山町開催に参加してまいりましたので、報告させていただきます。
私たちが保存活用する旧三菱合資会社室蘭出張所は、北炭の採掘した石炭を
室蘭港から積み出し、あるいは品質の分析を行っていたところであり、
北炭とは切っても切り離せない関係にあります。
栗山町には、北海道炭礦汽船(北炭)平和鉱業所所管となった角田坑があり、
炭鉱労働者やその家族を乗せた「角田炭鉱専用鉄道」が、
北炭夕張鉄道線「新二岐(しんふたまた)」駅から延びていました。
今回の集合場所は、この旧「新二岐」駅でした。
開業期間は1926.10.14~1975.4.1、あとわずかで半世紀というところでした。
新二岐駅の敷地が私有地であることから、参加者の車両をカフェ「麗燈露」(れとろ)さんへ移動。
かつて全校生徒600名程度も在籍していたというマンモス校、「日出小学校」の
校舎の一部を改修して、カフェ兼クラシックカーギャラリーとしています。
カフェの前のこの道路、実は「角田炭鉱専用鉄道」の引込線の跡地だそうです。
引込線の跡をたどり、道道3号(札幌夕張)線に出て、夕張方面に歩を進めると、
旧「日出小学校」の校門と、校歌が記された碑を見ることができます。
栗山町と夕張市の境にさしかかると、「栗山炭鉱」という看板が見えます。
ここから3kmほど山の中へ進むと、旧「角田坑」入口ゲートが見えるそうです。
現在は燃料販売業の札幌第一興産が、露天掘りで採掘しているそうです。
ただし、関係者以外が周辺をうろつくと、奇異の目で見られるほか、地権者さんに
追いかけまわされるとの話もあるそうなので、うかつには近寄れません。
というわけで、旧「角田坑」は二股に分かれるところの入口でストップ。
ここで、今回案内してくださるNPO運営会員の伊藤さんの説明を聞きます。
近くを流れる阿野呂(あのろ)川エリアには、炭層が2つあり、うち150m~300mの
層では、良質な石炭が採掘されていたそうです。昭和33年では、年間採掘量8万トンを
誇っていたそうです。
栗山市街地方面へ引き返します。
ややしばらく進むと、旧夕張鉄道「新二岐」駅に到着します。
そのやや手前(夕張側)に、このようなオブジェが建てられていました。
夕張鉄道も、全線の電化を計画していたようですが、角田炭鉱専用鉄道だけ電化となったそうです。
旭川から路面電車を購入し、角田炭鉱専用鉄道に走らせていたそうです。
そして、冒頭の写真にも出てきた、「新二岐」駅で折り返し、出発地へ戻りました。
出発地のカフェ「麗燈露」さんが使用している建物は、旧日出小学校の一番山側の校舎(体育館)で、
そのほか2つの校舎へは、2本の渡り廊下でつながれていました。
これがほかの校舎への渡り廊下でつながっていた部分です。
所要時間はおよそ2時間弱でしたが、北炭も進出していた栗山町の炭鉱付近を歩きますと、
たしかに、かつてそこにも多くの人の「営み」があったことを体感しました。
角田坑にまつわる悲しい物語もあったそうですが、今の北海道はこうした先人たちの多くの労苦の上に
成り立っていることを忘れてはならないと、改めて感じました。
案内してくださった伊藤さん、スタッフの秋元さん、ありがとうございました。