むろらん100年とは?

What’s MURORAN100?

「一般社団法人 むろらん100年建造物保存活用会(Muroran Century-old Building Preservation and Utilization Association)」(むろらん100年)は、室蘭市緑町(旧トキカラモイ)及び周辺地域の歴史的価値の高い建造物等(以下「歴史的建造物等」という。)の保存活用、調査研究、情報収集及び観光事業等を行い、地域の活性化を図り、併せて国内及び国際観光及び観光振興を促し、市民生活の向上と繁栄に寄与すると共に、国際親善に寄与することを目的とし、その目的に資するため、次の事業を行う。

(1) 歴史的建造物等の調査研究、情報収集、保存及び活用
(2) 歴史的建造物等を活用した観光諸行事の企画及び実施
(3) 歴史的建造物等の保存活用機関及び観光関係諸機関との連携
(4) 歴史的建造物等での展示会の開催、資格認定及び郷土文化の指導育成等
(5) 観光土産品等の紹介、宣伝及び販売
(6) 観光資源の保護及び活用の促進
(7) 観光情報の収集及び提供
(8) 環境保全等に取組む国内外の団体との相互交流、情報交換、相互支援、 イベント共催等
(9)前各号に掲げる事業に附帯又は関連する事業

※法人の定款はこちらをご覧になってください。

 

むろらん100年が設立されるに至った経緯と現在の活動

2


●旧三菱合資会社室蘭出張所の所有に至る経緯
昨年(2013年)、この木造洋館を維持していくにはどうしたらいいか、旧三菱合資会社から引きついだ持ち主である三菱マテリアルさんは保存のために前向きな方向で調査を行いました。しかし、残念ながら、現在の耐震基準に合わないという結果になりました。現在の耐震基準を考えると、多くの歴史的な建物は耐震基準に合わなくなるということを言われますが、ここも合わないという結果です。

たしかに老朽化しており、維持するにも、補修費などがかかり、個人や1つの企業が維持するには負担が重すぎます。しかし、この建物は、北海道で唯一残る三菱合資時代に建った建物。三菱の歴史では、国内でも3つしか残っていない石炭積出の拠点としては全道で唯一の建物です。そして、現在も周囲の歴史的建物と合わせて、歴史的情緒を形成し、2015年6月に明治産業遺産(世界遺産に登録)につながる歴史を持ちます。

また、旧室蘭駅-旧三菱(開港の地)エリアは、炭鉱から石炭を積み出す重要拠点として、歴史景観地区として残すべき地域です。
旧室蘭駅は、国の文化財として保存されていますが、この旧三菱は三菱だけではなく日本石炭・配炭公団といった国策会社として戦時中使われた歴史もあり歴史的な保存空間といえるものだと考えます。

2014年3月。私たちをはじめ、何とか維持して欲しいという市民の意見が多く寄せられたことで、持ち主の三菱マテリアルさんは重く受け止めてくださり、室蘭市に譲渡することを提案。しかし、室蘭市はこれを拒否。

そのため、市民、道民から集まった残して欲しいという多くの声を支えに、なんとかしようと室蘭市民が中心となった「一般社団法人 むろらん100年建造物保存活用会」を発足することになり、この法人が三菱さんのご協力の下に買取りました。そうして、99年にして取り壊しの危機にあった建物を救済し、翌年の2015年、無事100年を迎えることができました。

 

参考1)石炭積出しの歴史
北海道室蘭は、噴火湾という丸く大きな湾の入口にあります。
そして、空知(三笠、夕張、赤平など)の炭鉱から石炭を積み出す港として発達しました。


炭鉄港

港を開き、海を埋め立て、鉄道を敷き、石炭を積み出し、埋立地には、製鉄所、製鋼所といった工場が建てられ、商工業が発達していきました。
空知の炭鉱から鉄道を通して、港から石炭を積み出したもう1つの場所が小樽です。

江戸時代から明治維新を経て、欧州で200年かかった産業革命を日本はたった30年で終え、技術的に先進国に追いつき、「エネルギー資源」が欠かせなくなりました。自国でエネルギーを賄うことはとても重要なことで、その資源“石炭”は、北海道と九州にありました。

北海道はいまの日本に至るためにとても重要な役割を果たしました。
夕張、赤平をはじめとする産炭地から運ばれた石炭は、旧室蘭駅で荷卸しされ、戦時中は旧三菱建屋でチェックされ、八戸、仙台、東京など主に東日本に運ばれ、工業だけではなく、電気などのエネルギー源として使用されました。そこに、北海道の多くの人が関わり生きたドラマがあるのです。

そして、いまもその積み出し港、開港の地に唯一佇んでいる、100年になる和洋折衷の木造建造物が、旧三菱合資会社室蘭出張所なのです。この旧室蘭駅ー旧三菱界隈には、奇跡的に100年になる産業の黎明期を偲ばせる歴史的な建物が小さなエリアに集中して残っていますが、 これらは地域だけではなく、日本の歴史の生き証人ともいえる存在ともいえるでしょう。

そして、一刻も早く、歴史的景観地区として早く整備しなければ、失われていくだけです。

石炭時代に立てられた旧三菱合資会社時代の建物としても、北海道で唯一残されたもので、東京駅前の三菱1号館(三菱美術館)が本社拠点であった時代に建てられたものです。建物の詳細は、「建物について」をご覧ください。

 

参考2)開港の地、そして森蘭航路起点の桟橋のあった場所

この建物が大切な理由は、もう1つあります。

それは、室蘭開港の地にあることです。この地は、明治維新後、函館と札幌を結ぶ「札幌本道」のうち、海と陸の道を結ぶ起点です。

どういう意味かと言いますと、北海道開拓が始まって初めの県庁所在地は函館でした。
しかし、その後、現在の札幌に移ります。

函館と札幌を道で結ぶとき、噴火湾を回るか、海を渡るかの選択がありますが、当時は森町と室蘭を結び、海の道として、この建物界隈がその中継点になっていました。室蘭から見ると、陸と海の道の起点になります。

この海の道を森蘭航路と呼び、かつて船が通っていました。
クラーク博士も、イザベラ・バードも、明治天皇も通った道です。
※2016年、この森蘭航路が、観光航路としてに復活しました
その地にある唯一の大正の建物になります。
—————————————————————————————————-

●旧絵鞆小円型校舎2棟の保存活用

むろらん100年は、歴史的建造物・旧三菱合資会社室蘭出張所の保存から始まり、現在は、旧絵鞆小学校体育館棟も所有し、保存活用を進めています。

旧絵鞆小学校の歴史は古く、明治25年まで遡ります。
旧絵鞆小学校は、押杵帯九郎/アイヌ名:オビシテクル(1840頃~1913年)が中心になって開設されました。
押杵氏は、金田一京助、栗林五朔といった室蘭にとって重要な人物を引き合わせた方です。
その後、円形校舎が出来たのは、昭和33年、35年。

旧絵鞆小学校は、2015年閉校。
もともと、市は取り壊さない、歴史的建造物だと言っていましたが、方針を変え取壊しの危機(体育館棟のみ)に直面します。しかし、2019年にクラウドファンディングで1000万円を超える資金調達に成功し、市はむろらん100年へ売却。(保存までの経緯はこちら
ただし、民間の資産になったにも関わらず、耐震条件を付けそれを満たせなければ一般向けには使用できないとしています。
しかし、固定資産税だけは取るということです。ちなみに耐震だけで言うと、市の市庁舎はできていません。

旧絵鞆小学校は、建築的価値だけではなく、年間50万人もの観光流入がある道の駅「みたら」、人気の水族館のエリアにあり、活用によって室蘭観光の要になる可能性があります。また、この土地には、縄文遺跡が眠るため(2021年に世界遺産に登録されたエリア内)、宅地化はできません。

そこで、市は、1Fに縄文展示室をつくり、むろらん100年が全体管理することになりました。
2022年4月16日から10月まで土日祝のみ公開します。展示室のご案内は、むろらん100年のメンバーが行っていますので、ぜひお立ち寄りください。